▼ジーコの教えを伝える者 指導者・根岸誠一01
【いい選手の条件とは何か? 〜ジーコの教えを伝える者〜】
▼日本サッカーの育成事情vol.1
〜宇都宮チェルトFC・FCアネーロ宇都宮代表 根岸誠一〜
『Jリーグ創世記に偉大な痕跡を残した選手とは?』と尋ねられたら誰と答えるだろう。いまだ現役で活躍するKINGカズ(三浦知良)はもちろん、初代得点王のラモン・ディアスやラモス瑠偉、井原正巳など、日本サッカーの歴史に名を刻むさまざまな選手を思い起こすに違いない。ただネームバリューではなく、優勝という結果と同時に、クラブの未来を決定するサッカースタイルまでをも築いた選手はジーコ以外にはいない。確かにプレーやカリスマ性でファンを魅了し、人々の記憶に残っている選手はいるし、チームに結果をもたらした選手も数多くいる。だが、クラブの将来にまで深く貢献した選手はジーコだけではないか。
プロ化して20年目を迎える現在も、自らのスタイルを模索しているクラブも多い。チームカラーが見えるクラブといえば、ガンバ大阪や名古屋グランパスぐらい。監督が交代したら、今のスタイルもどうなるのかがわからないのが本音だ。そういう意味では、鹿島アントラーズはJ創世記から変わらないサッカーを実戦する唯一のクラブだ。
前身の住友金属工業サッカー部時代から、ジーコがチームに組織や戦術、規律、プロ意識などサッカーに必要なすべてを植え付け、クラブのDNAというべきものを生み出した。その功績は他とは比にならない。脈々と受け継がれるDNAは今所属している一人一人の選手にも繁栄し、見事スタイルを織り成す一部に昇華されている。さらに彼が構築したスタイルは、選手獲得の方向性といった経営面に至るまで、さまざまな意味でクラブの礎となっている。それこそが、ジーコがJリーグに残した財産だ。
鹿島アントラーズはFCバルセロナと同様、1つのクラブのあり方を提唱している。クラブが恒久的に存続するためには、いつ応援に行っても変わらないスタイルで、選手がピッチ上でプロ意識を表現していることが重要である。だからクラブにとって、スタイルを確立することも必要であり、ファンもそこにアイデンティティを感じ生涯声援を送り続ける。そのサイクルを継続するには、ユースやジュニアなどの下部組織にまでDNAを注入することが不可欠であり、繁栄への1つの道標だ。
▼サッカーは楽しくプレーするもの
ジーコからそれを教わりました!
ジーコが生んだDNAを受け継ぐ者は、何も鹿島アントラーズという名を背負う人々だけではない。彼の教えを、指導者という立場で日本サッカーの将来を担う子供に広めている人物もいる。栃木県クラブユースサッカー連盟理事長・根岸誠一も、その一人である。県内の指導者で、彼の存在を知らない人はいない。自身も宇都宮チェルトFC、FCアネーロ宇都宮というクラブの代表として選手の育成にたずさわり、ジーコの教えを伝えている。根岸がなつかしそうに出会ったころの話をしてくれた。
「基本は楽しく。それがジーコと出会って一番に学んだことです。住金で最初にいわれたのは欠点でした。『日本人はうまいけど、プロじゃない。試合でスタミナが落ちてきた時にプレーの質が下がる。だから、サッカー選手ではない』。リーグ(日本サッカーリーグ2部)が始まる前の3か月間は、飛んで跳ねるようなフィジカルトレーニングだけをみっちりやりました。ジャンプだけ、次は1分間で120回跳ぶ、最後はジャンプしてインサイドキックとか。めちゃくちゃキツいのに、ジーコは楽しそうに練習をするんですよ。1試合通じて、個々がブレないプレーをする、ここからジーコは作りました。
当時は5mのパスが30㎝ずれるだけで、ものすごい剣幕で怒っていました。『お前はプロじゃない、辞めろ』って。でも、走りながらのパスで意図やイメージが伝わるミスについては、1回目は大丈夫でした。僕らの中では『2回目は殺すよ』みたいな雰囲気が漂っていましたけどね(笑)。一番衝撃を受けたのはパス回しでも、彼が練習で一度もミスをしないことでした」
日本人に足らないのは技術じゃなく、確実なプレーの持続性やプロ意識の低さだったという。ジーコは来日して、まずそこから着手した。ほかにも気になることが飛び出した。
「ジーコがやっているサッカーって難しいことは1つもありません。アントラーズがそうじゃないですか。徹底したポジショニング、パスの正確性、目の前の相手が何を考えているのか、敵がどこにいて今どういう状態なのか、ボールをどう動かせばいいのか。バルセロナのゲームを見ていると、右足に出したら展開してくれる、左足に出したらダイレクトで返してくれる、ってパスでメッセージを伝えている。ジーコも同じです。
たとえば彼がボールをもっている時に、ディフェンスで対峙します。だいたい3か所ぐらいパスコースがあるんですが、ジーコは4か所目にボールが出るんですよ。誰がいるんだろうって振り返ったら、キーパーが前に飛び出していたりとか。年齢的にピークを過ぎていましたが、すごかった。ボールコントロールも視野も、これが世界レベルかって。派手なプレーはしませんでしたが、ミスはしないし、状況判断は想像できないぐらいのレベルでした。Jも確かに進歩しているし、世界に近づいていると思います。でも、あれを見ているからまだまだだなって」
一般的に日本人が思い浮かべるいい選手といえば、昨年のFIFAバロンドール最終候補に選ばれたメッシやC・ロナウドのようなテクニックのある選手だろう。だが、彼らのような選手は希だ。重要なことは、自分の持つテクニックを試合で生かすこと。そのためには、常に顔を上げて周囲を確認し、状況を把握しておかなければならい。と同時に、自らがパスを受けると予測した瞬間に、次のプレーを決断しておくことも必要だ。根岸もサッカーを指導するにあたり、そこをキーワードに掲げ、すべての年代で栃木県を制覇し結果も残している。
「子供たちを見て感じるのは『相手のいないサッカー』をするんですよ。まったく状況がない。自分がドリブルをしたければドリブル、パスをしたければパス。私がジーコで出会って変わった点も、そこだったんです。相手がいてなんぼじゃないですか。だから、いい選手の条件は、と聞かれたら状況判断が必ず入ります。自らが置かれた状況を把握して決断する選手が、いい選手かなと。それができる選手を育てていきたい」
育成年代の取材を続けていると、対人パスやドリブル練習などドリル的なことをやっているシーンをよく見かける。いわゆる、判断という要素が入らないクローズドスキルのトレーニングだ。11対11で行う試合の中で、この類いの練習は試合に直結しない。昨年夏にバルサキャンプを見学し、スクールコーチに話を聞いたことがあるが、そのコーチも日本人の状況判断について触れていた。オシムやベンゲルなど外国人監督もまた、日本人はテクニックがあるのになぜ試合で生かせないのか、と嘆いていた。
理由は明確。日本の育成現場で状況判断の伴う練習をやっていないからだ。まったく、とはいわない。しかし現状、状況判断を必要とする練習を取り入れている時間やトレーニング項目は少ないはずだ。裏を返せば、根岸のように状況判断という要素を加えたトレーニングを積めば、結果が出ることは実証済み。試合で生きるオープンスキルを身につけさせるため、彼は実際どんな練習をやっているのだろうか。
「年代にもよりますが、低学年はボールコントロールやボールタッチなど、足元の柔らかさを身につけさせる練習が多い。ですが、並行して3対1など数的有利な状況を使った練習も行います。技術と判断は、年代や個々に応じてメニューを組んでいます。ジュニアの年代はテクニックを鍛えて、ポゼッションゲームなどで判断を養う。複数の選手でアングルを作ることを意識させる練習をして、それを踏まえてアンカーを置いて3対3をやったり。常にボールと人が動くような領域までは、ジュニアでもしっかり練習しています」
▼▼▼インタビュー Vol.2へ続く … Next Page▼▼▼
▼宇都宮チェルトFC・FCアネーロ宇都宮代表
根岸 誠一(ねぎし せいいち)
1969年4月20日生まれ。栃木県鹿沼市出身。
180cm・64kg/ポジション DF
栃木県でサッカーに出会い、1985年に名門・宇都宮学園高等学校に入学。1年生の時から公式戦に出場し、全国高校サッカー選手権大会ベスト4に進出。翌年も同大会でレギュラーとして先輩・黒崎久志(現アルビレックス新潟監督)らと共にベスト8まで勝ち進み、ベスト11に選ばれてヨーロッパ遠征メンバーに選出。卒業後は本田技研に入社し、日本サッカーリーグ1部に属していたサッカー部でプレーするも、同部がJリーグへの参加を見送ったため、1991年にジーコが在籍していた住友金属サッカー部へ移籍。U-21日本代表候補に選ばれるなど活躍したが、ケガの影響で1993年のJリーグ開幕を前に退団し、指導者への道を歩む。現在は宇都宮チェルトFC・FCアネーロ宇都宮の代表を務め、栃木県クラブユースサッカー連盟理事長としても地元サッカーの発展に尽力する
【経歴】
1985年〜 宇都宮学園高等学校(文星芸術大学附属高等学校)
1988年〜 本田技研(日本サッカーリーグ1部)
1991年〜 住友金属(日本サッカーリーグ2部)/ 鹿島アントラーズ
1992年〜 鹿島アントラーズ 引退
取材・文=木之下 潤(Kinoshita Jun)
佐藤 奨(Sato Tsutomu)