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ジーコの教えを伝える者 指導者・根岸誠一02

【いい選手の条件とは何か? 〜ジーコの教えを伝える者〜】

日本サッカーの育成事情vol.1
〜宇都宮チェルトFC・FCアネーロ宇都宮代表 根岸誠一〜

 根岸のクラブの試合を見て、他のチームと決定的に違うところに気がづいた。それは笑顔である。彼の育成哲学である「基本は楽しく」を実戦している何よりの証だ。

「ジーコからの教えでもある『楽しく』が基本です。ただ試合をやって、負けてばかりでは楽しくない。やっぱり勝たないと、子供も喜ばない。勝てる自信にも裏付けがあって、それは楽しく練習をしてうまくなっているという実感があるから。私は、他のチームの監督が試合中のプレーに対して、教えてもいないのに怒鳴っているのが嫌なんです。その子供がねらいもなく、偶然やってしまったプレーに怒っても理不尽でしょ。それは指導者が勉強をしていないし、ちゃんとした練習をしていないから。

 だから、練習で考える力を求めて、結果、局面ごとに選択するのは子供だと思っているので、失敗してもとやかくいいません。試合で1対2の状況でもドリブルがいい場合は、自信を持って抜きにかかれと。もし、よりよい選択肢がパスであれば、その時々で状況を説明します。失敗しても、こっちは見えていたかと。よく父母の方から『子供たちがのびのびサッカーをしている』といわれます。今はクラブの代表として、現場は各年代のコーチに任せていますが、一人一人に合ったアドバイスをするように指導しています。でも、練習はかなりハードですよ。いい顔をして楽しく練習をしていますが、内容はどこよりもすごいと思います。私自身も楽しむためには、練習は厳しいよって、子供にはっきりいっています。上の学年になるほど、要求も厳しい」
 
根岸03

 

 

 

 

 

 

育成する指導者は『いい選手の条件』を考えてしまう
 その前に『いい指導者の条件』が何かを学ばなきゃ!

 十数年前、根岸がクラブを立ち上げたキッカケは、当時開いていたサッカースクールの父母から頼まれたから。実は、そんな考えはまったく持っていなかったそうだ。もともと鹿島アントラーズをケガで引退し、指導者に転身した時はエリートを対象としたスクールを考えていたという。ちょうどJリーグが開幕しサッカーブームが起こるなか、全国でスクールの開催やクラブの創設が増えつつあった急速な高度成長の中で、子供の両親が望んだ指導者が根岸のようなサッカーの本質を捉えた人物だったのかもしれない。その彼が強く訴えるのは、指導者の学ぶ姿勢だ。

「私の考えた練習メニューについて、県内の指導者からはよく『まだ早いよ』という言葉を投げかけられます。でも、Jの下部組織の選手は当たり前のようにやっているし、コーチも当たり前のように教えている。やれないわけがない。やっぱり世界のサッカー事情を知ることや、先進国の育成トレーニングを常に勉強することが大切です。私もブラジルのストリートサッカーや野洲高校の試合などの映像を入手して見ています。子供たちにもDVDに焼いて見せたりしていますし。子供に指導するなら、まず指導者が学ばないと。世界のサッカーはすごいスピードで進化しているんですから。

 最近は高校のコーチとしてベンチにも入っているんですが、強豪校やJ下部組織とも試合をやるのでそこの監督やコーチとも話をします。情報収集は大切だし、勉強の一環ですから。栃木県クラブユースサッカー連盟の理事長もしていますが、ミーティングの時には、私が知っている情報は隠さない。聞かれたらすべて話をしています。

 フランスがワールドカップで優勝した後に出た、当時監督を務めていたジャッケさんの本に書いてありました。会議もすべてまる裸にして、情報はすべてのスタッフにもまわるようにしたそうです。その時、『なぜそんなことをするんだ』っていわれ、『フランスサッカー界の底上げができるじゃないか』って彼は答えたと。だから、理事会もそうしています。すべてをさらけだして。そうすれば、他のクラブのいい部分がたくさん見えて多くのことに気がつく。同時に、クラブ間の力が拮抗するからさらに勉強が求められる。そうやって切磋琢磨すれば、指導者同士にもいいライバル関係ができて、真剣勝負ができる。若い指導者にはよくいいます、学ばなきゃねって」
 
 いい指導者と話をして感じるのは、自分が教えている子供たちだけを見ていないことだ。サッカー界全体に目が向いている。きっと教え子のサッカーIQが、日本の将来を変えることを知っているからだ。いい指導者に出会えば、その教え子がプロになれなかったとして、もしかしたら指導者としてサッカーにかかわるかもしれない。昔、鹿児島実業高校の松澤隆司総監督がテレビのインタビューでこんなことを語っていた。

「私がサッカーを真剣に教えているのは、何もプロを出したいからじゃない。どんな強豪校からだって、プロになれる選手は2%にも満たない。残り98%が日本サッカーを支えてくれるんです。だから、私はその98%のために指導しているんです」
 
 根岸誠一も、地元栃木のサッカー発展のために力を尽くしているのが十分に理解できる。その証拠に、彼の発言には『栃木』という言葉が頻繁に登場する。県選抜のコーチも務める根岸は、地元指導者の問題点をこう指摘する。

「実は、菊原志郎(元ヴェルディ川崎の選手)と同期なんです。彼は日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフとして、全国の県選抜のトレーニングを巡回していました。その時に話をしたんですが、栃木県の子供にこんな印象を持っていました。『栃木県の選手に15分間、4対2のボール回しをやらせる。最初はナショナル(各年代別の代表のこと)の子供よりもうまい。でも、ナショナルの子供は3分、4分と時間が経過すると、右足か左足か、どこに止めたらいいのか、ディフェンスでもわざと遅れてボールを奪いにいったり、浮き球でパスしたり、アイデアを出し始める。でも、栃木の選手はどうなるかというと、手を抜き始めると』。

 ナショナルの選手は各地域のトップが集まるわけだし、サッカーに対する理解力も高い。たとえば、3を伝えて10を悟る。そこもいい選手の条件だからそうでしょう。栃木の選手は3を伝えても3のままが多い。でも、そこは指導者が悪い。コーチライセンスの取得時や講習会などで、協会が考えた練習メニューを聞いて勉強をする。ただその指導者が自分の中に昇華しきれていないので、子供に噛み砕いて届けられない。

 協会からもらったトレーニングという付録を破れない。書いてあるノートのままを伝える。ボールをとってワンタッチではたいて、つないで。実際にやってみて、2回目にはノートとまったく違う場所にボールが渡って、例題と違うから本人が対処できない。栃木の子供だって、きちんと教わればできるんです。指導者が子供に、いろんなサッカーに出会わせてないからできないんです。彼らが真剣に考えていない。実行に移すのは本人なんだから、いくらいいテキストがあっても、いい指導者にはなれません。まずは、指導者が変わらないと」
 
 いい選手を育てるには、サッカーを見る目が必要だ。プレーの善し悪しを判断しなければならないからだ。止める、蹴る、運ぶという単純な技術だけなら、サッカーを知らない素人でも明確に○×で答えられる。だが、『状況』という要素が入るこのスポーツでは、そこに複数の選択肢が存在し『判断』が加わる。それを見極めるには、サッカーに関するあらゆる知識を必要とし、急激なスピードで進化するサッカー界の流れを追い、トレーニングの中で一人一人の特性を見つけ、育成特有の体の発達を知り…挙げだしたらキリがない。

 ただ1つ確実にいえることは、指導者が学ぶことである。いたってシンプルだ。サッカーを指導する時、『いい選手の条件って何だろう?』と思い、そこから『これが必要だ、あれも必要だ』と考えることが多いはず。でもその前に『いい指導者の条件って何だろう?』と問うことからはじめてほしい。子供と同じように自らも成長しなければ、いい指導者にはなれないのだから。根岸がささやいた「まずは、僕らが変わらないと」。この言葉に、いい指導者の条件が集約されている。(文中敬称略)
 
根岸誠一prf

 

 

 

 

宇都宮チェルトFC・FCアネーロ宇都宮代表
 根岸 誠一(ねぎし せいいち)

1969年4月20日生まれ。栃木県鹿沼市出身。
180cm・64kg/ポジション DF
栃木県でサッカーに出会い、1985年に名門・宇都宮学園高等学校に入学。1年生の時から公式戦に出場し、全国高校サッカー選手権大会ベスト4に進出。翌年も同大会でレギュラーとして先輩・黒崎久志(現アルビレックス新潟監督)らと共にベスト8まで勝ち進み、ベスト11に選ばれてヨーロッパ遠征メンバーに選出。卒業後は本田技研に入社し、日本サッカーリーグ1部に属していたサッカー部でプレーするも、同部がJリーグへの参加を見送ったため、1991年にジーコが在籍していた住友金属サッカー部へ移籍。U-21日本代表候補に選ばれるなど活躍したが、ケガの影響で1993年のJリーグ開幕を前に退団し、指導者への道を歩む。現在は宇都宮チェルトFC・FCアネーロ宇都宮の代表を務め、栃木県クラブユースサッカー連盟理事長としても地元サッカーの発展に尽力する

【経歴】
1985年〜 宇都宮学園高等学校(文星芸術大学附属高等学校)
1988年〜 本田技研(日本サッカーリーグ1部)
1991年〜 住友金属(日本サッカーリーグ2部)/ 鹿島アントラーズ
1992年〜 鹿島アントラーズ 引退
 
取材・文=木之下 潤(Kinoshita Jun)
佐藤 奨(Sato Tsutomu)
 

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