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プロとして生きる道はJリーグだけか?     インタビュー 和久井秀俊 Vol.1

【プロとして生きる道はJリーグだけか?】

インタビュー サッカー選手・和久井秀俊

 海外でプレーする選手が劇的に増えている。2010年の南アフリカ・ワールドカップ以降、日本代表の中心選手の半数が海外組になり、今冬にもハーフナー・マイクがオランダのフィテッセ、李忠成がイングランドのサウサンプトンへと移籍し、新たな挑戦をスタートした。

『Jリーグ発ヨーロッパ5大リーグ』という流れが通例化し、Jで実力を認められることが海外移籍への近道となっている。一方で、アーセナル(イングランド)の宮市亮のように高校卒業後、すぐに海外クラブに入団する選手も現れている。これは、日本サッカーがようやく世界のマーケットに組み込まれた一つの証だ。プロ化して20年目を迎え、育成哲学やリーグ運営などさまざまな指針をもとに歩みを進め、着実に世界基準へと近づいた結果だろう。

 ただ、J1を解雇された選手がJ2へ、J2を解雇された選手がJFLへ、JFLを追われた選手が地域リーグへと、エレベーター方式に下がっていく流れができあがっている事実も見逃してはならない。それらの選手が、上位のリーグへ移籍することがほとんどないのが現状だ。実力社会だから当然なのだが、世界に目を向けると、下位リーグの選手が上位リーグに移籍する例はいくらでも存在する。その理由は、各クラブのスカウティングが監督の戦術やクラブの方針に合った選手を自国のあらゆるリーグを隅々まで見渡し、さらには近隣国もリサーチし、チームの弱点を補強したり、スペシャルな武器を持つ選手をチームにうまくフィットさせながら、サッカーに関する広い視野と高いIQでクラブ経営をして結果を残し、自国リーグを盛り上げてきたからだ。

 日本よりも移籍ルートができあがり、チャンスが多い海外では、『プロサッカー選手=自国リーグでプレー』という考えが当てはまらない。むしろ自国でプロになれなければ、他国でプロになるという選手は山ほどいる。自分のためというより、家族を養うためと、自国へのこだわりを捨てるケースも多い。そんな視点で見れば、日本で埋もれている人材がプロになれるチャンスは格段に広がる。

 今、海外でプレーする日本人選手がどのくらいいるのかをご存知だろうか? ヨーロッパ5大リーグ以外の欧州各国、アジアなどでプレーする日本人選手は近年急激に増加し、120人を越える。例えば、ラトビアのヴィルスリーガ(トップリーグ)でプレーするFKヴェンツピルスの柴村直弥と加藤康弘は、昨シーズンのリーグ優勝に大きく貢献した。また、エストニア・マイスターリーグ(トップリーグ)ではJKノーメ・カリュの和久井秀俊がチームを準優勝へ導き、ベストイレブンとベストMF賞を獲得。彼らは、一般的にあまり知られていない異国の地で、日本人選手の価値を高めている。

 昨年末、和久井秀俊に話を聞く機会に恵まれたので、海外へ渡った理由やサッカー選手としての価値観、また自身がプレーした国など、さまざまな質問をぶつけてみた。10年以上プロとして海外でキャリアを積み、エストニアをはじめ、スロベニアやベラルーシなどでプレーした彼の回答には、日本サッカー発展のヒントが散らばっている。

和久井秀俊

 

 

 

 

 

 

サッカー選手の一番の土台はメンタル

 その上に技術などのスキルが成り立つ

——和久井選手の経歴を拝見すると、カズ(三浦知良)と同様、ブラジルからプロ生活が始まっています。日本サッカー界から見ると珍しいスタートですが、なぜ海外からプロを目指したのですか?

「僕が求めていたものは、サッカーが好きという純粋な気持ちでした。最初からブラジルへ渡ったのも『サッカー=ブラジル』というのが、Jリーグがスタートした1993年からずっと心にあって、高校生ぐらいから決意していました。サッカー王国・ブラジルに憧れて、本場の地でスタートしたという感じです。

 具体的な理由はオリジナルのスタイル、僕しか持ち得ないスペシャルなものを確立したかったから。サッカー王国への思いもありますが、同時に、特別なものを、スペシャルなものを持ちたい、磨きたいという気持ちの方が強かったです。ずっと海外でやっていますが、今でも変わりません」
 
——そのスペシャルなものとは?

「本当にいろんなものがあると思うんですが、一番土台となるのは『メンタル』。その上に個人の技術や戦術、チーム戦術などが成り立つと考えているので、これまで経験してきたすべてがスペシャルなものに通じています。アルビレックス新潟にも所属しましたが、施設など環境に恵まれた日本では身に付けられないものだと思っています」
 
——具体的にポジションは、どこで起用をされていたんですか?

「ブラジルではFWでした。ヨーロッパでは左ウイングが多いかな。オーストリア時代は中盤もやっていましたが、監督によって使い方は違います。基本的にはチャンスメークをする攻撃的なポジションです。自分自身、ディフェンスよりも攻撃の方が得意なので、それはしっかり監督に伝えます」
 
——ご自身では自分のブレースタイルをどう捉えていますか?

「僕は基本的にチャンスメーカーなので、ボールを持った時に『何かやってくれるんじゃないか? どんなプレーをするんだろう?』と、観客や味方が期待を抱いてくれる選手になりたかった」
 
——ゴールを決めて観客を熱狂させるよりも、チャンスを作る側でワクワクさせたいと?

「そうですね。もちろんゴールも奪いたいですが、できるだけチャンスを多く作るのが、日本人の特質を含めて、僕に合っているのかなと。そこが自分のスペシャルに一番近いかなと考えています」
 
——『日本人の特質』という言葉が出ました。10年間も海外でプレーされ、日本人選手で海外キャリアが最も長いです。海外の人と日本人の違いってどういう部分だと思われていますか?

「体のさばき方でいうと、基本クイックネスが一番優れていると思います。パワー、スピード、アジリティ、クイックネスという感じでわけると、クイックネスは間違いなく長けています。性質という部分では、マジメで勤勉。これはサッカーに限ったことではありません。でも、それはサッカーの中でも随所に出ていて、例えば、監督が目的や目標を持たせてまとめようとアドバイスをした時、その目標に向かってコツコツ努力をするのは日本人の武器かなと感じます。与えられた仕事はきちんとこなすというか、目標を達成するために創意工夫するのは間違いなく長所です」
 
——逆に足らないところは?

「環境や状況への対応能力…順応という部分では、日本人も質が高いんですが、やっぱり島国なので、異なる環境へ行った時に順応性はあるものの、対応性というところは弱いのかなと。アウェー環境への対応、よく言われるのは当たりや激しさとか、1つ1つの局面でプレーの差が出ているなと」
 
——メンタルという話がはじめに出てきましたが、環境面ではグランドが凸凹しているとか、本当のアウェーを知らないとか、いろいろあると思います。そういう面での引き出しの少なさみたいなものでしょうか?

「そうですね。これだというのは1つじゃないので一概には言えません。トレーニングも1つだけやっていれば、うまくなるというものでもないので。原因とか理由というと変ですけど、たくさんあると思います。

 例えばヨーロッパでは、ワールドカップとユーロは位置づけが違います。ワールドカップはヨーロッパの人にとってお祭りのようなもので、ユーロは言葉が適切ではありませんが、戦争のようなものなんです。やっぱり近隣国との試合は、日ごろサッカーとは無縁の人も盛り上がる。チェコがドイツと戦う時は、ものすごく気持ちを高めて試合をするし、歴史の中で押さえつけられてきたという感情があるので、その感情をここで出すんだっていうプレーをします。近隣国との試合、時代背景で上下関係があった国同士の試合は、日本ではなかなか体験できないものです。国内リーグでもライバル関係にあるクラブ同士の試合はものすごい。そういう環境で戦う試合は少ない」
 
——メンタル面での影響は、北朝鮮戦でも感じた部分はあります。

「僕は見ていませんが、北朝鮮とのワールドカップ予選はうまくいかなかったと聞きました。技術、戦術、どれをとっても日本代表は高いものがあります。ただ土台、サッカー選手の基礎になる部分はメンタルなので、ヨーロッパの人というか海外の人と比べると負けているというよりも、彼らの方がメンタルという土台がしっかりしているというイメージがあります」
 
——今シーズンのことを少し振り返ってください。数字上では、キャリアの中で最も輝かしいシーズンだったのかなという感想なんですが、どういうモチベーションでシーズンに臨んだんですか?

「毎シーズン、僕なりに短期中期長期で目標設定していますし、当然チームも年間を通したプログラムを作ります。今年はいろんな出来事が起こって、特に東日本大震災など自分の中で葛藤するようなことがあって、シンプルに目の前にある1試合を、これまで以上に大切に戦うことを目標にしました。1つ1つの局面で、過去よりも勝るプレーを心がけました。長期的なビジョンはありましたが、実際はこれまでと違いました。土曜日に試合があったとすれば、1週間のトレーニングで1つ1つ相手に負けないとか、『すべてのプレーで相手に勝る』ことを意識してシーズンを過ごしました」
 
——目の前のことに集中し、これまで以上に1つずつ積み重ねた結果が現れた一年だったということですね。ちなみにエストニアは、日本人にはなじみがありません。どんなリーグだと感じていますか?

「エストニアはヨーロッパの他の国のように、サッカーが人気の高いスポーツではありません。ヨーロッパ北東部に位置し、バルト海に面するバルト三国の1つで旧ソビエト連邦から独立した肌寒い国なので、アイスホッケーなどインドアのスポーツが人気です。

 当時は、近隣国からも格下に見られていました。サッカー界ではよくある話ですが、国の経済が安定するといくつかのクラブがお金を持ち始めて強くなるんです。実は、エストニアはここ数年でレベルが非常に上がっていて、近隣国から注目をされているんです。その証拠にユーロもプレーオフまで勝ち残っていますし、国外で活躍している選手も増えています。国内で結果を残した選手が代表に呼ばれるので、リーグ戦も試合が拮抗している。だから、強豪国との差もかなり埋まってきています」
 
——経済が安定してきたことで、クラブの資金力がアップし、それがリーグ全体のレベルアップに大きく作用していると?

「それは大きいですね。リーグそのものもスペインなど強豪国のリーグのように、上位と下位の差がはっきり開いていて、1〜3位のクラブはチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグにも出場しています。近隣国も同じように上位と下位の差が出ているようです」
 
▼▼▼インタビュー Vol.2へ続く … Next Page▼▼▼


和久井秀俊

 

 

 

和久井 秀俊(わくい ひでとし)
1983年2月12日生まれ。栃木県出身。
173cm・65kg/ポジション MF/FW
地元栃木で小学校からサッカーをはじめ、Jリーグ開幕直前まで鹿島アントラーズに所属した根岸誠一が開くサッカースクールに通う。中学校ではサッカー部がなかったため、一時は野球部に入部するも2年時に自らが生徒会長になってサッカー部を創設してプレーを続ける。鹿沼東高校時代は公立校にもかかわらず、3年時に県大会でベスト8に進出。コーチ兼キャプテンとしてチームを引っ張り、卒業を待たずして単身ブラジルに渡ってプロの夢をかなえる

【経歴】
2001年〜 サント・アンドレ(ブラジル)
2003年〜 アトレチコ・ジャレゼンセ(ブラジル)
2004年〜 アルビレックス新潟
2005年〜 アルビレックス新潟シンガポール レンタル移籍
2006年~ ファクトール(スロベニア) 完全移籍
2007年〜 インターブロック(スロベニア)※元ファクトール
2007~2008年 バッド・オウセー(オーストリア)完全移籍
2008年〜 NDゴリツァ(スロベニア)完全移籍
2009年〜 ボヘミアンズ・プラハ(チェコ)完全移籍
2010年〜 FKミンスク(ベラルーシ)完全移籍
2011年〜 ノーメ・カリュ(エストニア)完全移籍
 
取材・文=木之下 潤(Kinoshita Jun)
撮影=赤松洋太(Akamatsu Youta)、佐藤 奨(Sato Tsutomu)
 

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