日本サッカーを多角的に捉え、文化として根づかせよう
世界のサッカー先進国に追いつくために何をすべきか…
すべての人に取材で得た”サッカーの知”を公開します!

世界への目覚め、これから必要なこと

日本サッカーの存在意義、意識の芽生え

 最新の世界ランキングが発表され、日本代表は13位(6/29現在)まで順位を上げた。昨年ザッケローニが監督に就任し、いまだ無敗。アジア王者に返り咲き、他国の報道では「アジアのバルセロナ」とニュースで取り上げられ、世界的に知名度が高くなってきているが、真の実力はどうだろうか。
 
 東日本を未曾有の震災が襲い、スポーツ界にも広く影響が及ぶなか、サッカー界は迅速にチャリティマッチ「日本代表×Jリーグ選抜」を開催した。結果は2-1。代表が勝利したが、この試合の本意は勝負という側面だけでなく、もっと深いところにあることをすべての人が理解している。だからこそ、その意味は試合にかかわった人々が決めていく。MF遠藤保仁がFKで先制ゴールを決めたその直後に代表選手全員が喪章を掲げて祈りを捧げた。また、キングことFW三浦知良は絶妙なタイミングで裏に抜け出しDF闘莉王がヘッドで落としたボールを見事にゴールへ流し込んでカズダンスを躍った。試合後に残したカズの「東北の方にきっと届いたと思います」という言葉は、日本サッカー界が1つになって被災者へ発信した力強いメッセージとなった。今後、多くの人の記憶に残るだろう。だがそれ以上に現役をはじめ、OBやユース世代など、選手の心に深く刻まれたに違いない。鹿島のMF小笠原満男は東北出身の選手に呼びかけ、“チーム東北”を発足して継続的に復興を支援しているし、OBたちも各地で積極的に支援活動を行っている。
 
 Jリーグが産声を上げて18年、日本サッカーはようやく流行やブームといった軽い言葉で片付けられるものでなく、地域に根付き、なくてはならない存在へ昇華されつつある。今季のリーグ戦を見ると、選手のプレーやサポーターの行動によく表れている。球ぎわの激しさは昨シーズンと比較にならないし、試合前にはベガルタ仙台など被災したチームのファンへ相手サポーターからエールが送られている。募金活動など物理的な支援は言うまでもないが、心を支える応援も続けられている。震災をきっかけに、選手はもちろん、すべてのサッカー関係者が「Jリーグの理念」に真摯に向き合うようになったのかもしれない。ドイツやブラジルなどのように「サッカー先進国・強豪国」と呼ばれるようになるには独自の文化を育む必要があるし、日本はようやく第一歩を踏み出したばかり。13位という順位が素直に受け止められるようになるには、まだまだ先の話だ。

国旗を持って応援するということ…

 5年前のドイツワールドカップで現地取材していた時、「こうやってサッカー文化や歴史を刻むんだな」という瞬間に出会った。ドイツ大会は日本サッカー史上もっとも才能ある選手が集まり、大きな期待を受けて望んだ大会だったが、結果は惨敗。以降、代表戦の観客数は減り、結果的にそれから数年は暗黒の時代へと沈んでいった。敗戦を引きずりつつ、取材を続けていたある日、ある出来事に遭遇した。私にとって、一生忘れられない出来事だ。
 
 大会が始まる前に、フランクフルトのユースホステルで日本人の男性と友達になった。イギリスに留学していてドイツ語を専攻しているので、ワールドカップを通じて言葉や文化の勉強にきたのだそうだ。その彼と偶然、ドルトムントのユースで再会した。そこは準決勝「ドイツ×イタリア」の開催地、観戦するためにやってきたのだという。私はチケットがなかったが、スタジアムの隣にあるファンホールで試合を見るつもりだったので、一緒に会場まで向かった。到着してからもビールを片手に、試合開始ギリギリまでサッカー談義に花を咲かせて話し込んでいると、ある不思議な老婆を見つけた。年齢は軽く60歳を越えていたと思う。とてもサッカー観戦をするような格好ではなく、オシャレな服を身につけ、休日にカフェで友人や夫とゆっくり話を楽しむような気品のある雰囲気が漂っていた。だが、なぜか一人でドイツ国旗を持って佇んでいる。その光景が異種独特だったので興味をひかれ、2人で話かけてみることにした。
 
 「何をしているんですか?」とたずねてみる。すると「国旗を持って、外を歩くのがうれしいの」と返事がきた。その時は単に、ドイツ代表が準決勝へコマを進め、優勝に手が届く位置にいるからだと思い込んでいた。だが、真意は違っていた。続けて「ドイツ国民が国旗を公に掲げて応援することなんか、いままで見たことがない。この国には戦争の歴史がある。過去、欧州諸国にひどいことをした。だから、国旗を広げて外を出歩くなんて…。こんなに多くの人々が国旗を持って応援している姿なんか、目にしたことがない」と語ったのだ。
 
 戦争という時代を生き、その歴史を知る老婆から考えたら、公の場でドイツ人だと主張するような行為が信じられなかった。まして国旗を持って応援するなんて。聞けば、当然かもしれない。日本人が国旗をもって中国を歩くようなものだから。だが、そこはスポーツ。サッカーという世界でもっとも愛されている競技を触媒に、近隣諸国の前で堂々と国旗を持って歩ける。この行為こそがうれしかったのだ。話のあとも老婆は旗を掲げたまま、その雰囲気をずっと楽しんでいた。
 
 たった20分ほどの会話だったが、深く意味のある内容だった。若い人は純粋にサッカーをスポーツとして捉え、ライバル国に負けたくない気持ちをぶつける。だが一方で、歴史を知るドイツの老人たちは過去を背負って応援する。比べることに意味はない。ただ両者にあるのは「サッカーを通じて国を思う心」だということだ。この日ドイツが負けた瞬間、老婆は何を感じたのだろう。ワールドカップの頂点で国旗が掲げられることの喜びを、どれほど心待ちにしていたことか。そう考えると理屈抜きに、強豪国は国の歴史と深くかかわりながら長い時間を刻んでいる。人々にとっては、空気のような存在だ。いま日本サッカーもゆるやかだが、日常生活の一部としてごく自然に溶け込みつつある。この震災を含め、日本の歴史と共に、その存在が人々の中に大きくなっていく。今後強豪国と片を並べるには、未来を担う子ども、育成する指導者、支える家族…すべての人々が「サッカー熱」を帯びながら具体的な行動を起こさなければならない。

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